中の棚稲荷神社


沿革

中の棚稲荷神社は建立された正確な日付はわかりませんが、文政5(1822) 年に編纂された「知新集」( 昭和41年広島県重要文化財指定)に「新小路 宝暦8年このところ焼失せしによりこの小路をひらく、又此所に稲荷の小祠あり、これは餅屋某といえるものの鎮守なるよし」 と記されているところから、少なくとも宝暦8(1758)年には、今の中の棚にあったことがわかります。

祭神は、京都伏見稲荷の正一位稲荷神社大明神の御分霊。

弘化年間(1844~1847)に稲荷神社について書かれた書物には、著名な稲荷神社六社のうちの一社として記されている由緒正しい神社です。また早くから正一位の位(稲荷神社の格を表す位で正一位は最高位)を授けられており、古い文献に「中の棚の中央に正一位稲荷があって~」と記されています。

高位の稲荷神社として崇められ、また地元の神社として愛された中の棚稲荷神社でしたが、昭和20(1945)年、被爆焼失してしまいます。しかし地元住民の支援により昭和30(1955)年に再建。以後、地元住民や有志、その他関係者によって運営・維持管理されています。もともと「商売繁盛」「地域安全」を祈願して勧進され、現在では中の棚の守護神として愛されています。広島市内の商店街にあることから商売に携わる方や女性の参拝者が多く「商売繁盛」「恋愛成就」や「家内安全」にご利益があると言われています。